2008年07月21日

AERA問題再び

ブログを休止していた時に、「AERA」にキリスト教会における性的虐待問題が浮上したのだけど、そのときワタシはJECAからまさにAERAに掲載されたある教団の一つの教会に転会して間もないころであった。この問題に対して、教団サイドでもHPに文書が掲載され、セクハラ問題相談室も設けられたほど、教団として深刻な問題として捉えてはいたのだが、AERAに掲載されたということで問題が再燃してしまった。

さらに、先週土曜日に発売された「AERA」7月28日号では、3つの単立系キリスト教会における虐待(性的・肉体的)問題が浮上してしまった。
もちろん、これらの問題もネット掲示板などでは取り上げられてはいたのだけれど、単立という性格ゆえ「上からの介入」が出来ないために、訴訟沙汰になって初めてキリスト教(特に福音派の中)では浮上した問題であり、「スクープ」でもなんでもない。

実は、この問題の根幹にあるのは「『信仰』という名の虐待」というカルト化した教会の問題である。
「信仰」という名の虐待 (21世紀ブックレット)
パスカル ズィヴィー 志村 真 福沢 満雄
いのちのことば社
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上記の本が書かれたのは、2002年のこと。
当時はカルト化した教会問題について、具体的な教会名は出さずに、問題が出ているという程度であったけれど、今ではキリスト教系雑誌やサイトに、教会名を挙げて告発し、訴訟問題に発展していくというケースが見られる。

今回AERAで取り上げられた教会の一つ、「ハレルヤ・コミュニティ・チャーチ(HCC)」については、マルコーシュ・パブリケーションというペンテコステ系の出版社が出している「ハーザー」という雑誌が、ちょうど6月号・7月号に特集として取り上げている。
それと、「沖縄キリスト福音センター」のケースだが、信仰のために治療を放棄させる問題というのは、かなり昔からある典型的な「信仰による虐待」のケースだが、ハーベスト・タイムの中川健一師も一時期カルト化から回復させようと試みたらしい(どうも失敗したみたいだけど)。ただ、この教会は『悪霊と聖霊の舞台―沖縄の民衆キリスト教に見る救済世界』とか(未見ですが)、『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』あたりではそこそこ好意的に書かれていたのではないか。沖縄的な文化・習俗とキリスト教がミックスしてしまうという日本の一般的な教会とは別の問題も抱えていると思う。
本日、↓の本を手に入れて読んだけれど、AERAで取り上げられた3つの教会の問題の根幹は同じだということを痛感した。
“「信仰」という名の虐待”からの回復 (21世紀ブックレット 37)
パスカル・ズィヴィー
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普通、キリスト教会に未信者が行く場合、聖書をほとんど理解していない状態であると思う。カルト化した教会の牧師はそこを利用して、自分勝手な聖書の解釈を押し付け、「自分で考える」ということをさせないようにする。そして「羊化」というか「ロボット化」させ、教会のメンバーとして洗礼を受けると、完全に牧師の奴隷と化してしまう。
そうなればしめたもので、暴力を振るおうが、性的関係を迫ろうがすべて牧師の思うがまま、という悲劇が待っているわけである。

ただ、問題は、そのような教会から幸いにも抜け出した信徒達が、他の教会に移るなり、一般社会に出て行くに当たって、罪悪感を抱きながら生活せざるを得ないという状況であり、カウンセリングやサポートが必要なのであるが、既存のキリスト教会でなかなかそこまで至らないのが現状ではある。特に性的被害を受けた女性のためのサポートは急務である。

とにかく、福音派の教会で、「自分達の教会はカルト化しない」と思っている教会が危ないと思う。
「善悪二元論」や「教会の外はサタンの世界」などの教えは通常の教会でも考えられることであり、そこから牧師や教会の責任者だけではなく、信徒一人一人が疑問を持ち、自分の頭で考えることをしないと、その教会がカルト化する危険性があると思う。
posted by とてくのん at 21:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記