2009年03月25日

曙町のアパート



立川で、イエスとブッダが繰り広げる不思議な世界を描いた『聖☆おにいさん』の3巻が出た。
天界からバカンスの為、なぜか日本の東京の立川にやってきたイエスとブッダのボロアパート生活を描いているのだが・・・。

イエスやブッダといえば、日本人には「宗教の開祖」的なイメージがあるのだろうが、現代人が考える宗教のイメージは、やはり豪奢な建物で儀礼を執り行う、というのがあるのではないか。
海外のニュースを見ると、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とか、メッカのカーバ神殿とか、日本でも東大寺や日光の東照宮のような「すごい建物」が宗教の場所として取り上げられているし、日本の新興宗教も、かなりすごい建物を所有している。ワタシの住む立川にも「真如苑」という仏教系の団体が「応現院」というものすごい建物を建てている。
しかし、『聖☆おにいさん』に登場するブッダやイエスは、応現院やカトリック立川教会のような建物には住んではいない。ましてやワタシの所属する教会でもない。

「松田ハイツ」である。アパートなのである。

ワタシはこの設定に感激した。
「WWJD」という略語がアメリカで流行したことがある。
「What Would Jesus Do?(イエスならどうしただろう)」という思いを常に抱いて行動せよ、ということだ。
もちろん、これのブッダ版もあり、「What Would Buddha Do?=WWBD」になる。
もし、現代の日本で、彼らが住むのだとしたら、ブッダやイエスなら豪奢な建物ではなくボロアパートに住むんじゃないかと思う。

第3巻で、彼らのアパートがある場所が「曙町」だということが判明したけど、この曙町、ほかでも無い「(旧)立川観音福音センター」のある町でもある・・・。
posted by とてくのん at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教

2009年01月06日

人はそれを「偽善」と呼ぶ

ホームレスを食い物にするキリスト教 「派遣村」リポート(下)
http://news.livedoor.com/article/detail/3964048/

まず始めに断っておくが、ここでは、「年越し派遣村」がイデオロギーの道具にされているか否かということは問わない。

はっきりいって、これは情け無い。正月早々風邪を引いてしまったがどうしても書かなければならないと思う。

記事で引用されているキリスト教会は、大きく分けて2つのパターンがある。
一つは、失業者を自分達の施設に収容し、住居と食事の保障はしても、付属の店でただ同然か献金を要求して働かせるケース。
もう一つは、炊き出しの食事をバプテスマ(洗礼)を受けることと引き換えに与えるケース。説教や讃美歌を歌うことを食事の条件とするのもこのケースだろう。

まず、知識として(ホームレスでなくとも)知るべきは、
「洗礼はいきなり受けるべきではない」ということ。
中には、出会っただけで洗礼を施される教会もあるとは思うが、当人がイエス・キリストを救い主として信じているかどうか、というのが洗礼を受ける最低の条件であるとは思う(ここでは幼児洗礼については論じない)。それを確認もせずに食事を与える条件としての洗礼はないと思う。
また、洗礼というのは1度受ければよいものであり、食事の条件として何回も受けるのはおかしい。

今回の記事にはなかったが、通常洗礼を受けるということは、その教会のコミュニティにつながる、ということでもある。ホームレス達が有無を言わせず洗礼を受けたとしても、洗礼を授ける教会サイドにはそのホームレスを自分達のコミュニティに受け入れるという気はさらさら無いのだろう。
普通は、教会という場で信徒として時間をかけて教育されるのが筋なのだが、ホームレス達にコミュニティを作る教育もせずに、ただただ信者を増やすだけ、という自己目的にしかなっていない。

食事と引き換えに信徒にする。
それは表向きは「教会による慈善事業」かもしれないが、人はそれを「偽善」と呼ぶ。


それと、いちばん罪深いのは、それを野放しにしてきたキリスト教界全体にも言える事だろう。
「教会のカルト化」でもそうだったが、どうしても「臭いものにふた」をしているような気がしてならない。
特にこのようなことをするのは福音派が多いのだから、われわれ福音派の人間はしっかり見張っていく必要があるのだろう。
posted by とてくのん at 19:19| Comment(2) | TrackBack(0) | キリスト教

2008年12月01日

キリスト教゛界用語が・・・

こんな本を買ってみた。
アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ)
飯山 雅史
中央公論新社
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まぁ、アメリカの宗教右派(おもに福音派)のベーシックな知識を教えてくれる本なんだが・・・

気になるものが1つあった。

この本では「Baptist」という語に「バプチスト」という語を与えている。「バプティスト」でも「バプテスト」でもない。「バプチスト」である。

この手の研究書なら英語の発音に近く「バプティスト」と表記するのが普通だし、日本のBaptist系の教派は軒並み「バプテスト」の表記を用いる。

このことでもそうなんだが、どうも「キリスト教を研究する側」と「キリスト教界の中にいる側(ワタシはコレを「教゛界」と呼ぶ)」とで用語の統一がなされていない。

実は、旧文部省が『学術用語集』を作った事があったが、
その中に「キリスト教学編」というのがあった。
今ではオンラインで調べることが可能である。
http://sciterm.nii.ac.jp/cgi-bin/reference.cgi
実は上記の本でも『学術用語集』を参照にしているのだが、『学術用語集』でも「Baptist」は「バプテスト」である。著者には、犬養道子がカトリックをわざと「カトリク」とするように、何かこだわりでもあるのだろうか?。

バプテストばかりではない。「Methodist」は学術書だと「メソディスト」、教゛界だと「メソジスト」だったりする。

つまり、「教゛界」というのが内輪の人間は気づいていないものの、実は閉ざされた世界であって、それを外部の人間が知りたくてもなかなか公開されない世界なのだ、ということなのかもしれない。「教界」だけではなく、個々の「教会」のレベルでもそうなのだろうと思う。

教会は敷居が高い、とクリスチャンじゃ無い人によく言われるが、
教会の中で何が行われているかをクリスチャンは表に出してこなかったんじゃないかと思う。
別に秘密結社とか、秘儀を行う怪しい宗教※では無いのだから、どんどん情報公開はすべきだと思う。

※ここでは「聖餐式の秘儀性」については問題にはしない。

posted by とてくのん at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教

2008年10月03日

小説『商道』は朝鮮時代の“キリシタン物語”だ

韓国ドラマにはまっています(笑)。
特に「チャングムの誓い」のイ・ビョンフン監督の史劇が面白いのだけれど、最近BS朝日で見たのが、
「商道(サンド)」。
http://www.koretame.com/sando/
10月27日から再放送があるので、BSデジタルある方はぜひ。

で、コレは、朝鮮一の高麗人参商人、イム・サンオクの一大成功記なのだけれど、ベースは同名の小説。
商道 下 (ランダムハウス講談社 チ 2-3)
崔 仁浩
ランダムハウス講談社
売り上げランキング: 204037


地理や風俗などについて知りたかったため、読んでみたものの、これは違った面で面白かった。
なぜかというと・・・続きを読む
posted by とてくのん at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教

2008年08月17日

地域での教会のつながりを!

ワタシが現在通っている教会は、教会学校に通うような子供は一人も無く、家族ぐるみで出席しているような人も皆無で、「限界集落」ならぬ「限界教会」になってしまっている。
出席者は10数人、礼拝の司会者はほぼ固定されてたしまっている。ただ、どうしてもこの教会ではないとダメという老信徒が、延々遠い県から電車を乗り継いでやってくるほど慕われているので、存在が脅かされるというほどのものではない。

ワタシの住んでいる立川という町は、米軍基地があった影響で、キリスト教会が多かったところでもある。中心部の再開発のおかげで、教会は立川でも中心部から離れたところに点在するようになっていったが、比較的大きな規模の教会が中心部の周辺にいくつかあるのは、基地の名残りなのだろうか。

で、非常に気になる点が一つ。
立川地域の教会の交流がほとんど無い、ということ。
以前住んでいた八王子では、「連合イースターのつどい」のようなイベントを立ち上げるほど、
教派の壁を越えた教会同士の交流が盛んであったが、立川に移るとそれがまったく感じられない。
しかも「羊の取り合い」に懸命になっている教会が多く、「わが仏尊し」ならぬ「わがキリスト尊し」状態に陥っている感がある。
前にも取り上げたAERA問題でも、単立教会に対するチェック機能が無いことが指摘されているが、教団所属の教会の場合、教団の中だけで問題を解決しようと試みているのではないのだろうか。
また、地域にキリスト教会があるということを対外的にアピールするには、地域の教会同士の交流は不可欠なのではないか、と思う。クリスチャンじゃ無い人にとって、いろんな教派の教会が自分の町にいくつもあるということが変なことだと思うのだから、教会は怪しいところじゃないということは常に発信し続ける必要があり、そのためにも地域の教会の交流をすべきだと思う。



posted by とてくのん at 20:33| Comment(7) | TrackBack(0) | キリスト教